一般社団法人 福岡行動医学研究所

Since 1998

所長ご挨拶


福岡行動医学研究所 所長
福岡行動医学研究所は、医療法人うら梅の郷会(林道彦理事長)を母体とし、九州大学精神科第5代教授を務められた中尾弘之先生を初代所長に迎えて1998年4月に開設され、若い精神科医の支援を目的として、平成元年から約15年間にわたり雑誌「福岡行動医学雑誌」を出版してきました。

中尾先生の後を引き継いだのが九州大学精神科講師を務めた松尾正先生で、2019年3月まで所長として活躍されました。松尾正先生は、「沈黙と自閉」「存在と他者」などの著書を書かれ、“分裂病”を現象学的に深く考察された精神病理学者です。関連する領域の知己も多く、雑誌は精神病理や精神療法の深い考察で満ちていました。そのあとを受けて、僕がその任を引き受けております。

初代所長の中尾名誉教授は、一貫して情動の神経基盤の研究を推し進められた研究者です。なかでも脳内刺激法で逃避学習の誘発部位を発見し、神経症の動物モデルを完成させたことは世界的な業績であり、それらは英文著書として出版されています。研究の一部は米国の生理学の教科書にも取りあげられました。

また情動の研究を進める中で、先生の慧眼は、個体と環境との関係の重要なことに着目し、先生はこれを「行動医学」と名付けて、「医師は、生物医学と行動医学を兼ね備えなければならい」と書き残されています。すなわち生物医学とともに、心理レベル、社会レベル、文化レベルで医療を考えることの重要性を強調されました。雑誌名にある「行動医学」には、このような意味が込められているのです。「行動医学」の理念は、今日誰もが共有している“健康”の概念、すなわち「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的福祉においても、すべてが満たされた状態にあること」と通底しています。

昨今、メンタルヘルスへの関心が日本の社会にも広く普及しました。きっかけの一つは、WHOによる障害調整生命年(disability adjusted life years, DALY)の採用だったと思います(1990年)。この報告は、精神疾患の疾病負担が腫瘍に次いで二番目に高いことを明らかにしたのです。日本社会がバブル景気から一転して不況の時代へと突入し、1998年には我が国の自殺者が年間3万人を超えました。しかもこの時期、過重労働によるうつ病や自殺が社会問題となり、職域でのメンタルヘルスの重要性が認識され、ストレスチェック制度の確立へとつながりました。2013年には、五疾病五事業の五疾病目に「精神疾患」が位置づけられました。

メンタルヘルスへの取り組みは病院や診療所にとどまらず、職場や教育現場をはじめ社会の幅広い領域において進められています。国民のメンタルヘルスのさらなる向上をめざして、関係者はそれぞれの専門性を生かし、一体となって活動していく必要があります。

福岡行動医学研究所では、これからも若い精神科医の方々、さらにはメンタルヘルスの活動にたずさわる多く方々をも対象として、皆様の活動に役立つ情報を提供して参りたいと思います。

令和2年7月 吉日

福岡行動医学研究所 所長
九州大学名誉教授

神庭 重信

施設紹介


福岡行動医学研究所は平成31年4月より神庭重信九州大学名誉教授に所長に就任していただきました。神庭先生は、研究所の初代所長中尾弘之九州大学名誉教授を深く尊敬されておられました。中尾先生は研究所の開所にあたって、「人間は生物的、心理的、社会的、文化的存在である」と提案され、研究所活動も臨床から基礎研究まで幅広い活動にしたいと考えておられました。神庭先生もその趣旨に賛同され、研究所活動を引き継がれました。

施設概要

施設名
(⼀社)福岡⾏動医学研究所
所在地
〒838-0825
福岡県朝倉郡筑前町大久保500
連絡先
TEL.0946-23-8087 
FAX.0946-23-8087
代表理事
林 道彦(会⻑)
理事
神庭 重信(研究所所⻑)
理事
中尾 智博
理事
⼤村 重成

福岡行動医学雑誌


本研究所活動を広く知っていただくために、「福岡行動医学研究所雑誌」をホームページで閲覧できるようにしました。ご高覧よろしくお願い申し上げます。

入会のご案内


本研究所の活動の一環として「福岡行動医学研究会」を主催しております。
会員には以下のような特典があります。
研究所主催の研究会のご案内
福岡行動医学雑誌の配布。雑誌への投稿(無料)
入会ご希望の方は研究所にメールでお問い合わせの上、年会費を下記口座にお振込みください。

お振込み先

年会費
正会員 4,000円 
賛助会員 10,000円以上
郵便振込口座
01780-2-152778
加入者名
一般社団法人 福岡行動医学研究所

お問い合わせ

連絡先
TEL.0946-23-8087 
FAX.0946-23-8087
E - M a i l
seishin@f-koudoigaku.org

第五回 精神医学研究奨励賞 募集


精神医学・医療の分野において優れた独創的研究を行っている研究者に対して福岡行動医学研究所精神医学研究奨励賞を贈呈します。

  • 1)褒賞金
  • 原則として贈呈件数は1件とし、賞牌ならびに副賞30万円を贈呈します。
  • 2)締め切り日
  • 2025年9月末日
  • 3)選考方法
  • 所定の推薦書に必要事項を記入のうえ、主要論文(学会発表の場合は抄録)リスト(3編以内)及び主要論文(抄録)のコピーとともに当研究所に提出下さい。 推薦書は下記のリンクから表示、印刷できます。
推薦書のダウンロードはこちら

郵送先:一般社団法人福岡行動医学研究所
〒838-0825
福岡県朝倉郡筑前町大久保500
TEL:0946-23-8087

所長コラム


九州大学精神科メールマガジンcompassで配信している『南アルプスの風』を掲載しています。

  • ・南アルプスの風 No.5
     2022年3月のコンパス5号に寄稿して以来、ご無沙汰してしまいました。2019年から南アルプスの地で生活するようになり、比較的自由な時間が増え、家内と散歩に出たり、ドライブへ行ったりしていたのですが、しばらくして、九大を退職して暇にしていると思われたのでしょうか、あれこれの頼みごとの依頼が舞い込むようになりました。中でもこの時期最も時間を要したのは、『Tasman’s Psychiatry-Fifth Edition(Springer)』の編集協力の仕事です。全169章からなり、500名以上で執筆された精神医学の百科事典のようなテキストで、執筆の依頼に一苦労し、また原稿の回収と査読で骨を折りました。ジェントルなAllan Tasman先生から、「アジア地区の執筆者が少ない、この原稿は文字だらけなので図表を作成してはめ込め」などときついメールが来たり、あるいは執筆者から断りのメールが来たりして(来るだけよくて返事をよこさない人も少なからずいました)、新たに執筆者を探すことになったりと、あまりに煩わしいので、途中で降りようと思ったくらいでした。それがやっと今年の8月にはプリント版が刊行されるところまでこぎつけることができました。少々値が張るかと思いますが、『Kaplan & Sadock』と双璧をなすテキストになりそうです。各医局に1冊置いていただけると嬉しいです。以上、テキストの宣伝を兼ねてお話ししました。

     今回は、井原裕氏とのメール対談録の前半を掲載します。井原氏との対談を思いついた理由は、冒頭の発言で説明しています。

    人間学的精神医学とスピリチュアリティ-井原裕氏との対談録 前半
    (行動医学雑誌30号P135に掲載されています)
  • ・南アルプスの風 No.4
    国境を越えた知の創出:コロナ禍で疫学研究の重要性に気づく *註1

     新型コロナウイルス感染症(以下COVID-19)のパンデミックでは、さまざまな感染対策において、疫学の重要性を教えられたように思います。もっとも疫学は伝染病を研究対象として発展してきた科学なので当然なことでもあるのですが・・・。
     ワクチン接種がいち早く始まった英国では、政府の委員会において、65歳以上の人にワクチン接種を行い、次いで16歳以上のハイリスク疾患者に接種することが提案されていました(2020年12月)。しかも、この委員会が定めた主なハイリスク疾患の中に、重度の精神疾患および知的発達症が位置づけられていたのです。その当時僕は、COVID-19対策をきっかけに世界精神医学会(WPA)に設置された特別委員会(Advisory Committee on Response to Emergencies, ACRE*註2)に加わっていたため、この事実にいち早く接することができました。すでに、英国、米国、韓国などの大規模調査(数十万から数千万人)の結果から、重度の精神疾患または重度の知的発達症を持つ人は他の人よりもCOVID-19への感染率が高いだけではなく、重症化率・死亡率も高いことが報告されていました。英国保健省は、こうしたエビデンスにもとづき、これらの疾患をワクチン接種の優先疾患に位置づけたのです。日本精神神経学会は、ただちに、海外で得られた疫学情報を厚生労働省に提出し、重度の精神疾患または重度の知的発達症を、優先接種疾患に位置づけることを承認してもらいました(2021年3月)。
     そのときに思ったことを述べますと、まず医療が崩壊するほどのパンデミック下にあっても疫学研究を推し進めた研究者たちの熱意に心を打たれました。と同時に、日本独自の疫学データを提出できなかったことが残念であり、このようなビッグデータを収集して蓄積し解析できるシステムがあり、国民の健康を守る体制ができている諸外国がうらやましくもありました。
      話は変わりますが、つい最近、令和4年度診療報酬改定の資料が中医協総会に提示されました。その中に、「医療技術の評価・再評価のあり方の見直し」という項目があり、その基本的な考え方として、「診療ガイドライン等に基づく質の高い医療を進める観点から、診療ガイドラインの改定や、レジストリ等のリアルワールドデータの解析結果を踏まえ、医療技術の評価・再評価の在り方を見直す」と記載されていました。近年「エビデンスに基づく政策立案(Evidence-based Policy Making, EBPM)」が導入されつつありますが、診療ガイドラインやレジストリに言及し、エビデンスとして取り上げていこうとする流れが身近に起こっていることを実感したのです。これらも、臨床医学の問題を疫学的手法により解決しようとする科学に基づく方法です。診療ガイドラインは、医薬品や医療技術の推奨にあたり、主として統制された条件下で実施される臨床試験や治験の結果を積み上げて作成されます。一方、レジストリとは、実際の医療現場で治療を受けた患者さんの情報を匿名化して蓄積し、病気の経過や治療の効果などを疫学的に観察するための大規模データベースのことを言います。たとえば、統合失調症の経過が10年前に比べて良くなっているのか変わらないのか。経験談としてよく言われるように、うつ病は実際に軽症化しているのか、治療薬は進歩しているのに難治で慢性化する一群の特徴は何かなど、疾患の性質や医療の質を客観的に把握しておく必要があります。これらの疑問を解決する基礎データを提供してくれるのが、後方視的あるいは前方視的に経過を追うことのできる疾患レジストリであり、それはまた臨床試験や治験の結果と併せて、診療ガイドラインの作成にも用いられます。
     疫学の祖と言われるジョン・スノウ*註3は、1850年代にコレラがロンドンに流行しつつあるときに、疫学的調査を行い、コレラが当時一般に信じられていた空気感染ではなく、特定の井戸の水を飲むことによる経口感染であることをいち早く発見し、防疫に成功しました。ロベルト・コッホがコレラ菌を発見する30年も前のことです。勝手な想像ですが、このような歴史から疫学が重視されてきたのでしょうか、エビデンス(コクラン・ライブラリー)といい、ガイドライン(NICEなど)といい、レジストリやバンクといい、英国は世界をリードしているように思います。たとえばUK Biobankという50万人の患者コホート情報のバンクがあり、遺伝子情報からさまざまな表現型情報にいたるまで、情報が一元管理されています。しかもUK Biobankのデータは公開されており、世界中の研究者が活用できるようになっています。紙面の関係で詳細には触れませんが、このデータから説得力のある成果が次々に生み出されています。九大医学部は久山町研究という世界に誇れる疫学研究を行っています。小原知之先生がリードする久山町認知症研究は、2025年に認知症患者が700万人に達すると推計し、この深刻な推計値は政府による認知症の地域医療計画に反映されています。また糖尿病や高齢者のうつ・孤独感がアルツハイマー病のリスク要因であることを明らかにしました。そして今、糖尿病とアルツハイマー病の発症との関係を明らかにする分子メカニズムの研究がトップクラスの研究室で進められています。 このように、疫学研究は、原因や病態が不確実な疾患であっても、そのリスク要因、そして予防法や介入法を導き出すことができる科学なのです。したがって僕は、精神疾患の研究においてこそ、疫学の手法がより一層応用されるべきではないかと思っています。日本医療研究開発機構(AMED)の仕事に係わっていますと、脳科学の急速な進歩とともに、国内外の基礎と臨床の研究者が連携して、精神疾患の原因解明、さらにはその先にある原因療法の開発をめざす研究が盛んに行われていることがわかります。一方で、国内の精神疾患の疫学研究は少し元気がないように思われます。このたびのコロナ禍において海外で集積されたエビデンスが日本政府のワクチン接種方針の決定に用いられたように、日本の精神科疫学研究が、国境を越えた知の創出に貢献することを期待し、多くの若手精神科医がエビデンス構築に参加して欲しいと思っています。

    *註1.
    本稿は、下記の原稿に加筆修正を加えたものです。神庭重信、巻頭言、国境を越えた知の創出:コロナ禍で疫学研究の重要性に気づく。心と社会 2022年3月号
    *註2.
    現在は、ロシアによるウクライナ侵攻で発生するメンタルへルスの問題に関してWPAとしてできる対策を検討しています。
    *註3.
    小説「ブロード街の12日間」(デボラ・ホプキンソン、千葉茂樹訳、あすなろ書房、2014年)は、ビクトリア朝ロンドンを舞台として、孤児で泥さらいのしかし思考力に優れた少年イールがスノウ博士の助手となり、コレラの感染経路を明らかにしていく児童文学です。文章の流れは多少ぎこちなく読みづらいのですが、ジョン・スノウの史実をもとにしたフィクションにはひきこまれます。
  • ・南アルプスの風 No.3
    赤石山脈を眺めながら

     このたび、日本精神神経学会の理事長を退任しました。現役時代に引き受けたお役目を少しずつ次世代に渡しています。しかし、いつまでも若いつもりでいるせいか、新しく仕事を頼まれるとつい引き受けてしまいます。頼む方も、まだできるだろうと思って頼んでくるのでしょうから、はなはだ危なっかしい話です。そのせいで、Googleカレンダーの予定はウェブ会議だらけ。ウェブ会議は日常生活を遠慮なく細切れにするので、プライベートな時間をまとまって作ることが難しくなりがちです。それでも、土曜日の午前中は断固としてテニスをすることに決めています。
     今回は、1年ほど前から通っているテニスクラブの様子をご紹介します。
     福岡では、毎週火曜日の夜がレッスンの時間でした。8~10人の生徒がグループになり、コーチから指導を受けていました。若い男女が多く、僕はたいてい最高齢で、たっぷり90分、球を打ちコートを走り回って息を切らせてぐったりしていると、コーチが飛んできて、「大丈夫ですか」と心配してくれたものです。飯田には、このようなレッスンを受けるクラブがなく、腕がなまって仕方がなかったのです。
     それがちょうど1年ほど前に、かみさんが地元医師会の会合で、知り合いの小児科医にその話をしたところ、「自分が参加しているテニスクラブがあるので良かったらきてください。ぼろぼろのコートですがテニス好きが集まって毎日のようにやっていますよ」と教えてくれたのです。
     そのクラブは、上郷(かみさと)テニスクラブといい、メンバーは33名(うち女性9名)です。平均年齢は65歳くらいでしょうか。飯田市の北端にある山の標高600メートルあたりに拓かれた平地があり、いまでは表面が剝げていますが、市営のハードコートが3面作られています。晴れた日には、雄大な赤石山脈(南アルプス)の幾つもの山頂を見渡すことができます。ここにメンバーが三々五々集まってきて、次々にダブルスの試合をこなしていくのです。

    剝げたテニスコートと赤石山脈
    〈剝げたテニスコートと赤石山脈〉

     最高齢は82歳。この方は息も切らさずに走り回ります。大動脈弁閉鎖不全を抱えている方もいて、こちらの心配をよそに試合に熱中しています。「これまでにこのコートでは、救急車を2度ほど呼んだことがある」と聞かされると、メンバーに内科医がいても気が気ではありません。「大丈夫ですか」と僕の方が声をかけたくなります。
     現役時代の職業はさまざまで、愛知県の大企業の役員だった方、その系列企業の北米支店長だった方もいれば、地元の企業、役所、商店、農家の方などさまざまです。「先生」と呼ばれるのは、前出の小児科医と内科医、それに元高校教師と僕の4人です。しかし過去の肩書きにとらわれないフラットな関係で結ばれています。とにかくここでは、テニスが強いかどうかが唯一の関心事なのです。
     僕が参加することは伝わっていたらしく、皆さんが温かく迎えてくれました。噂では、「大学時代は庭球部、しかも大学は慶應」と聞いていたようです。ところが僕は、1年ほどラケットを握っていなかったのですから、サーブがまったく入らないし、ストロークはネットかアウト、ボレーはフレームショットだらけです。好奇の眼差しで見ていた方々は、「こんなはずはない」と怪訝に思われたらしく、わざわざキャリアを確認するので、「慶應といっても医学部の部活で、全日本学生テニス選手権大会で優勝するような全学の庭球部とは比べものにならないのです」と、皆さんの誤解を解くのに一苦労しました。もちろん、退職後にブランクがあったこともくどくどと説明しました。

    自宅医院の診察室からみえる赤石山脈
    〈自宅医院の診察室からみえる赤石山脈〉

     それ以来、真夏には日焼け止めを塗り、サングラスをかけて、真冬にはヒートテックに手袋、休息時間はスタジアムコートを着て、テニスを続けてきました。
     それでも、お年寄りや中高年の女性相手に負けることがしばしばあります。彼らはほぼ毎日コートに来て試合をしているので実に試合巧者なのです。テニスという競技は、相手が取れないところへ球を打つという、意地の悪さを必要とします。年を取ると、強い球は打てなくなりますが、意地悪な打球は上手になるのですね。お年寄りや女性を相手にすると、こちらには「弱いものいじめをしたくない」という気持ちが生まれ、つい手加減してしまうのですが、相手は容赦なくドロップショットを打ちロブを上げてきます。
     そうした相手に負けると実に悔しく情けない気持ちになります。そこへ、親切な方が、「神庭先生をそんなにいじめるともう来なくなっちゃうよ」とか「ラケットを大坂なおみモデルに変えてみてはどうか」などと口々に言ってくださるので、余計に惨めな気持ちになってしまうのです。
      そのような時には、「僕もいずれ、毎日のようにコートに来て、若い人を相手に意地悪な老人になってやるぞ」と眼前の山脈を眺めながら思うのです。
  • ・南アルプスの風 No.2
    巻頭言の連載に苦労する

    飯田警察署には、これまでに措置鑑定で3回、免許証の更新で1回出向いています。どこにも装飾のないマッチ箱のような形をした汚れの目立つ建物で、初めて来たときはがっかりしたものです。というのは、若い頃、内田康夫のデビュー作「死者の木霊」を読んでて、飯田署に特別なイメージを持っていたからです。飯田の松川ダムでバラバラ死体が発見される場面から始まり、飯田署で平凡な日々を送っていた竹村巡査部長(あだ名は信濃のコロンボ)が、眠っていた才能を発揮し、犯人を追い詰めていく推理小説です。
    ところで、なぜ3回も措置鑑定に来たのかというと、10万人が住むここ飯田市には精神保健指定医が5人しかいないので、勤務医、開業医を問わず、有資格者は順番で鑑定を引き受けているからです。かくもこの地の精神科医療は痩せ細っており、これと向き合わないわけにはいかないのです。
     先日、かみさんと松川ダムまで行ってきました。自宅から車で40分とかかりません。途中、飯田から木曽へ抜ける大平街道を走り、すれ違うのも一苦労する細くてくねった山道をしばらく登るとダムへと到着します。その日は薄曇りで、太陽が山の端にさしかかろうとしていました。あたりは人影もなく静まりかえっています。管理棟らしき建物の前を過ぎると、急に視界が開け、高さ84メートルのダムが目に飛び込んできました。堤頂長は165メートルですから、492メートルの黒部第四ダムに比べればはるかに小ぶりです。それでもダムは山奥に深い湖を作り、それは松川のはるか上流へと続いています。水辺にはうっそうとした森が迫っています。
     堤頂から下を見下ろしながらぶらぶらと歩いていたところ、暗闇が急に迫ってきたため、慌ててその場を去り大平街道へと戻ったので、この話はここで終わります。

    と言うことで、今回は、北大におられた精神病理学者の大宮司信先生からバトンを渡され、日本キリスト者医科連盟の機関誌「医学と福音」で4回にわたり連載した巻頭言を再掲させていただきます。600字でまとめるように言われて、毎回いささか苦労しました。

    届かなかったS0S(第696号、2021年2月)
    一昨年に大学を退職し、南信州の小都市に暮らし診療を続けています。精神科医は、診察室にいながら、患者さんの語りをとおして、地域社会の動きを感じとることができます。 コロナ禍で受注が減った製造業の勤労者たちは出勤日を減らされ、生活費を切り詰めて生活しています。美味しくて評判だったある食堂の経営者は、来客が減り廃業を余儀なくされ、悩んだ末に生活保護を受けることに決めました。その一方で、ウィズコロナの社会で必要とされる業種では受注が急増しており、従業員は仕事に追われています。この地方においても、産業構造の急激な変化が起きており、富裕と貧困の二極化が進んでいる気配を感じるのです。
    生活に困窮した人々が追い詰められ、先行きが見えなくなり、心身の不調を抱えて受診してきます。医療とともに生活支援の処方箋が必要です。たとえば福祉の各種制度の利用を提案し、相談窓口へ行くように促すわけです。
    災害は弱者により厳しい。コロナ禍で取り残された人が、身動きできない自粛生活の中で助けを求めているはずです。彼ら、彼女らが希望を失わないでいられるように、僕が関係する日本うつ病センターでは無料のメール相談を始めました。しかしわずかな数のメールしか届いてきません。
    コロナ禍で支援を必要としている人のSOSを受信できないでいるうちに、自殺者はじわりじわりと増えています。私たちにできることがきっとあるはずです。

    トリアージュに、医療とはなにかを考える(第697号、2021年3月)
    コロナ禍という災害のフロントラインで働く医療従事者の努力にもかかわらず、今年1月には重症の感染者が急増し、一部の地域では医療崩壊の瀬戸際にまで追い詰められました。(大阪では2021年4月に医療崩壊に至っているようです)
    災害救急医療の現場では、4種類のタグを付けるトリアージュが行われます。最大多数の人を救うために、助かる可能性の低い者を切り捨てる功利主義的な手段です。もとは、最前線の野戦病院で、戦線復帰が可能な軽傷者の治療を優先したことに始まったと言われます。むろん現在の災害救急医療はその目的も手段も洗練されていますが、そこで命の選別が行われることは変わっていません。
    現場を取材したあるテレビニュースは、「後期高齢者の方が『自分は高齢で合併症もあるので、今以上に状態が悪化しても人工呼吸器を用いた治療は拒否する』と申し出た事例もある」と、トリアージュの現実を伝えていました。
    この報道に触れたとき民間伝承の「姥捨」が思い浮かび、僕は強い違和感を持ちました。この方は、人工呼吸器の装着および取り外しを判断するなんらかの説明(それがトリアージュのガイドラインであったとしても)を受けて同意したはずです。だとするならば、高齢で合併症を持つ者は一般的に致死率が高いという説明が、暗に、死を選ばせている可能性はないでしょうか。
    この報道は、平等と博愛が医療の大前提であると思ってきたつもりの僕に、医療と功利主義の関係は実はトリアージュに限ったものではなく、恒常的なものではないのか、という疑念を抱かせたのです。

    文明度を測る唯一の規準(第698号、2021年4月)
    中国の作家・方方(Fang Fang)氏は、「ある国の文明度を測る規準は、どれほど高いビルがあるか、どれほど速い車があるかではない。……ある国の文明度を測る唯一の規準は、弱者に対して国がどういう態度を取るかだ」と述べています(『武漢日記-封鎖下60日の魂の記録』、2月24日の日記、河出書房新社、2020年)。 
    方方氏の言う文明度も、その国の強さや弱さも、国が危機にあるときに露呈します。パンデミックを伝える国際ニュースからは、各国の国民の行動、経済力、科学技術の層の厚さ、そして哲学者から政治家までが語る言葉の重みに至るまでを、比較して見ることになりました。
    ここで各国の優劣を述べるつもりはありません。ただ、どの国でも共通していることは誰が弱者かということです。それは、罹患者とその家族や遺族であり、高齢者や女性であり、心身に障害を持つ人々であり、そして生活困難者たちです。
    同調圧力の強い日本社会で「行動を自粛しろ」と言うことは、感染拡大防止に有効に働く一方、残念なことに、罹患者に対する過剰な責任論を生んだように思えます。ウイルス感染への怖れとも相まって、罹患者やその家族への激しい差別、誹謗中傷を巻き起こし、それが未だに止まらないと報道されています。
    僕は、方方氏の言う「国」を「国民」に、「文明度」を「隣人愛」と読み換えたいと思います。
    方方氏は、完全封鎖と言論、信仰の抑圧のなか、そのブログ日記の最後を聖書の言葉(テモテへの第二の手紙、第4章)を踏まえて次のように締めくくっています。あたかもそれと分かる者への暗号には分かるようにして。
    「わたしはうるわしい戦いを終えた。私は走るべき道を走り終えた。私は信じる道を守り通した。」

    朋あり遠方より来たる(第699号、2021年5月)
    二度目の緊急事態宣言が出されたにもかかわらず、人出は思ったように減らず、新型コロナウイルスの感染が再び広がろうとしています。長引く自粛生活に人々のこころは疲弊し、家族や親しい人との出会いを求める気持ちを抑えることが辛くなっているようです。
    リモートでつながってはいても、対人距離を埋めることはできないからでしょうか、「こころが通い合った」「ああ、楽しかった」という気持ちにはなれないものです。孔子の有名な一節「朋あり遠方より来たる…」の心境に思いをはせたり、進化はしていてもヒトは集団をなして生存してきた霊長類だから、などと生物学的に考えたりもします。
    九州大学久山町研究の一環として行われた高齢者の追跡調査は、配偶者や同居者がいながら情緒的孤独感(いわば疎外感)を抱えている高齢者は、認知症発症のリスクが高いことを明らかにしました。孤独・孤立は、他にも糖尿病、がん、脳や心臓の血管障害、うつ病や自殺などのリスク因子であるという研究が数多くあります。疾病の「ゼロ次予防」において、周囲との情緒的なサポートでつながったコミュニティ作りが重要であると言われるゆえんです。
    孤独は現代社会が抱える問題であり、メイ英首相(当時)は「孤独(loneliness)は現代の公衆衛生上、最も大きな課題の一つ」として、世界初の「孤独担当大臣」を任命しました(2018年)。日本政府も今年2月に、コロナ禍のなかで孤独がさらに問題化すると考え、孤独・孤立対策室を内閣官房に設置しています。

    コロナ禍において、平時には当たり前に享受していた、あるいはときには蔑ろにすらしていた「共にいること」の大切さを、誰もが身をもって知ったのではないでしょうか。
  • ・南アルプスの風 No.1
    コロナ禍の信州で赤毛のアンと出会う

     南信州に暮らし早くも2年が過ぎようとしています。昨年の夏には、嫌がるかみさんを説得して、二人でトレッキングの準備を整え、熊よけのベルまで用意したのですが、今度は「マムシが怖い」と言い出し、これでは切りが無いと思っているうちに、結局一度も山へは入れずに冬を迎えてしまいました。また子どもたちが帰省したときのためにと、バーベキューのコンロと燃料まで購入して待っていたのですが、コロナ禍で誰も帰れずじまいとなり、こちらも出番がありません。やり残したことが多い一年でしたが、コロナ禍で東京へ行けなくなり、本を読む時間だけは増えました。

     月刊雑誌「みすず」の1・2月合併号は、各界から150人くらいの方が、前年に読んだ本のなかから印象深かったものを5冊ほど紹介する「読書アンケート特集」で構成されています。今回のアンケートには、大佛次郎賞に輝いた内海健先生の『金閣を焼かなければならぬ』も含めて、精神科医の手による一般の読者向けの著書を紹介しました。実は予想外に面白かった本が、松本侑子訳(2019年)の『赤毛のアン』だったのです。さすがにこの本を5冊のなかに加えることはためらわれましたので、本書の感想をこの紙面で紹介させてください。

     僕はこれまで、訳本の書名から少女向けの童話だろうとてっきり思い込んでいて、読もうと思ったことが一度もなかったのです。それが、昨年秋頃にNHKで連続放映されていた「アンという名の少女」という番組にたまたまチャンネルを合わせたとき、アンの大げさな芝居がかった台詞や物語の舞台、そしてその展開に思わず惹き込まれてしまい、急いでL.M.モンゴメリ(1874-1942)の原作(松本侑子訳)を取り寄せたのです。

     英文タイトルは“Anne of Green Gables”。直訳すると「緑色の切妻屋根のアン」となります。「赤毛のアン」よりは、はるかに想像を膨らませてくれるのですが、私たちには「緑色の切妻屋根のアン」でも「グリーン・ゲイブルズのアン」でも、何のことだかわからないですね。しかし欧米の読者には「グリーン・ゲイブルズ」が家の特徴を表したいわゆる屋号、呼び名だと分かるのでしょう。「赤毛のアン」は、最初に翻訳(1952年)を手がけた村岡花子さん(NHK朝ドラ「花子とアン」の主人公)の苦肉の策だったわけですが、この「赤毛」にはあとで述べるように特別な意味があるのです。  さすがだと思いますが、茂木健一郎さんは、「11歳の時、私はなぜ、“この作品には何かがある”と直覚したのだろう。最近になってやっと、その正体が見えてきた」と言い、『「赤毛のアン」に学ぶ幸福になる方法』(2008年)、『「赤毛のアン」が教えてくれた大切なこと』(2013年)、『100分de名著、モンゴメリ「赤毛のアン」』(2018年)を執筆しています。しかも虜になった茂木さんは、高校1年生のときに『赤毛のアン』のシリーズを全て原書でも読み、英語力が飛躍的に高まったというみずからの体験から、『「赤毛のアン」で英語づけ』(2014年)と題した本まで出しているのです。モンゴメリの文章が透き通っていて美しいことは間違いありませんが、彼の英語力が高まった理由は、この小説に没頭していたからでしょうね。彼はまた、この小説をゲーテの「ヴィルヘルム・マイスター」のようなビルドゥングスロマンと位置づけています。たしかに、僕が同じように10代にこの本と出会っていたら大きな影響を受けただろうと思います。

     舞台は19世紀後半、ビクトリア朝イングランドの文化、慣習、信仰や通念の影響を強く受けているカナダ東部の美しいプリンス・エドワード島。アンは生まれて3ヶ月のときに、ともに教師だった両親を相次いで亡くし、いじわるな親戚をたらい回しにされ、孤児院で愛情を受けずに育った、赤毛で、やせっぽちで、そばかすだらけで、目だけがやたらに大きいみなしごです。11歳のときに、「グリーン・ゲイブルズ」に暮らすマシューとマリラ・カスバートという初老期の兄妹に引き取られることになり、孤児院を出て大喜びで里親のもとへ向かいます。ところがマリラは働き手となる男の子を養子に迎えるつもりだったのです。手配のミスから女の子が送られてきた、という少しハラハラさせられる場面から話は始まります。マシューは出会ったときから“大げさな”話し方をするおしゃべりな女の子を気に入っていました。マリラもやがて仕方なくアンを養育することにします。やがて二人はアンを愛するようになり、アンは「グリーン・ゲイブルズ」という安住の地を得て、差別、貧困、死別を乗り越えながら、聡明さを放つ瞳と、豊かな想像力を伝えるおしゃべりな口と、強い意志と純粋で優しさに溢れたこころをもつ美しい女性へと成長する。このプロットはC.ディケンズのそれとも少し重なる古典的な小説です。

     取り寄せた松本侑子版は全608頁の文春文庫(2019年)でした。訳者が19年間にわたり調べたという「訳者によるノート-『赤毛のアン』の謎とき-」、いわゆる訳注が100頁も占めています。最初はこの訳注が煩わしく思えたのですが、一つ一つの注にあたりながら読み進めると、思いもよらない豊かな文学や思想の世界が現れてくる。モンゴメリは、この小説に、シェイクスピア、英米詩、聖書の言葉をちりばめているのです。これを読み解いた松本さんの能力と努力には舌を巻くしかありません。たとえば、第14章は、自分の大切なブローチを盗んだと誤解したマリラから、罰としてアンは一晩の謹慎を言い渡されます。その夜が明けた朝のすがすがしさの描写として、「庭の白百合はぷんと甘く香った。その芳香は目に見えない風にのって戸から窓から家中に流れ込み、……」と出てきます。物語は流れて、午後にはその誤解が晴れ、マリラはアンを疑ったことを謝るのですが、白百合(マドンナ・リリー)が聖母マリアの純潔を象徴する花で、「目に見えない風」はシェイクスピア劇の「尺には尺を」の場面(詳細略)に出てくる台詞だと知ってから読み返すと、この記述がその午後の展開をすでに暗喩していることがわかり、甚く感銘するといった次第です。ちなみに、アンの髪の色が赤毛であることにも意味があります。単に見劣りがするというだけではありません。イエスを裏切るユダ、嫉妬から弟のアベルを殺したカインが赤毛だったとされ、その当時、赤毛は不吉な髪色として嫌われていたと知れば、「赤毛のアン」という日本語訳の書名からも違った印象を受けることでしょう。

     この物語は、就寝前のお祈りの仕方さえ満足に教えてもらえない環境で育ったみなしごが、「神は天に在り、この世はすべてよし(God’s in his heaven. All’s right with the world)」という英国の詩人R.ブラウニングの言葉をささやいて終わります。この言葉は、アンの物語を通してモンゴメリが伝えようとした幸福論そのものなのです。