赤石山脈を眺めながら
このたび、日本精神神経学会の理事長を退任しました。現役時代に引き受けたお役目を少しずつ次世代に渡しています。しかし、いつまでも若いつもりでいるせいか、新しく仕事を頼まれるとつい引き受けてしまいます。頼む方も、まだできるだろうと思って頼んでくるのでしょうから、はなはだ危なっかしい話です。そのせいで、Googleカレンダーの予定はウェブ会議だらけ。ウェブ会議は日常生活を遠慮なく細切れにするので、プライベートな時間をまとまって作ることが難しくなりがちです。それでも、土曜日の午前中は断固としてテニスをすることに決めています。
今回は、1年ほど前から通っているテニスクラブの様子をご紹介します。
福岡では、毎週火曜日の夜がレッスンの時間でした。8~10人の生徒がグループになり、コーチから指導を受けていました。若い男女が多く、僕はたいてい最高齢で、たっぷり90分、球を打ちコートを走り回って息を切らせてぐったりしていると、コーチが飛んできて、「大丈夫ですか」と心配してくれたものです。飯田には、このようなレッスンを受けるクラブがなく、腕がなまって仕方がなかったのです。
それがちょうど1年ほど前に、かみさんが地元医師会の会合で、知り合いの小児科医にその話をしたところ、「自分が参加しているテニスクラブがあるので良かったらきてください。ぼろぼろのコートですがテニス好きが集まって毎日のようにやっていますよ」と教えてくれたのです。
そのクラブは、上郷(かみさと)テニスクラブといい、メンバーは33名(うち女性9名)です。平均年齢は65歳くらいでしょうか。飯田市の北端にある山の標高600メートルあたりに拓かれた平地があり、いまでは表面が剝げていますが、市営のハードコートが3面作られています。晴れた日には、雄大な赤石山脈(南アルプス)の幾つもの山頂を見渡すことができます。ここにメンバーが三々五々集まってきて、次々にダブルスの試合をこなしていくのです。
〈剝げたテニスコートと赤石山脈〉
最高齢は82歳。この方は息も切らさずに走り回ります。大動脈弁閉鎖不全を抱えている方もいて、こちらの心配をよそに試合に熱中しています。「これまでにこのコートでは、救急車を2度ほど呼んだことがある」と聞かされると、メンバーに内科医がいても気が気ではありません。「大丈夫ですか」と僕の方が声をかけたくなります。
現役時代の職業はさまざまで、愛知県の大企業の役員だった方、その系列企業の北米支店長だった方もいれば、地元の企業、役所、商店、農家の方などさまざまです。「先生」と呼ばれるのは、前出の小児科医と内科医、それに元高校教師と僕の4人です。しかし過去の肩書きにとらわれないフラットな関係で結ばれています。とにかくここでは、テニスが強いかどうかが唯一の関心事なのです。
僕が参加することは伝わっていたらしく、皆さんが温かく迎えてくれました。噂では、「大学時代は庭球部、しかも大学は慶應」と聞いていたようです。ところが僕は、1年ほどラケットを握っていなかったのですから、サーブがまったく入らないし、ストロークはネットかアウト、ボレーはフレームショットだらけです。好奇の眼差しで見ていた方々は、「こんなはずはない」と怪訝に思われたらしく、わざわざキャリアを確認するので、「慶應といっても医学部の部活で、全日本学生テニス選手権大会で優勝するような全学の庭球部とは比べものにならないのです」と、皆さんの誤解を解くのに一苦労しました。もちろん、退職後にブランクがあったこともくどくどと説明しました。
〈自宅医院の診察室からみえる赤石山脈〉
それ以来、真夏には日焼け止めを塗り、サングラスをかけて、真冬にはヒートテックに手袋、休息時間はスタジアムコートを着て、テニスを続けてきました。
それでも、お年寄りや中高年の女性相手に負けることがしばしばあります。彼らはほぼ毎日コートに来て試合をしているので実に試合巧者なのです。テニスという競技は、相手が取れないところへ球を打つという、意地の悪さを必要とします。年を取ると、強い球は打てなくなりますが、意地悪な打球は上手になるのですね。お年寄りや女性を相手にすると、こちらには「弱いものいじめをしたくない」という気持ちが生まれ、つい手加減してしまうのですが、相手は容赦なくドロップショットを打ちロブを上げてきます。
そうした相手に負けると実に悔しく情けない気持ちになります。そこへ、親切な方が、「神庭先生をそんなにいじめるともう来なくなっちゃうよ」とか「ラケットを大坂なおみモデルに変えてみてはどうか」などと口々に言ってくださるので、余計に惨めな気持ちになってしまうのです。
そのような時には、「僕もいずれ、毎日のようにコートに来て、若い人を相手に意地悪な老人になってやるぞ」と眼前の山脈を眺めながら思うのです。